なんか!これからについて!

22日までらしい「調書」への回答を何処までも差し控え、俗悪、肥満過ぎた部屋を引き締めつつ、更に肥らす作業に勤しんでいます。寒さ、低気圧には敵わない。みなさんもお身体には気をつけて。もちろん愛にも。

 

若さの過剰に振り回され、しかして人さまをより振り回し、しかしそれだけではだめだァ〜……とも思う。問題は「教養Bildung」、いいかえると「造型design」、もっとキモくいえば精神をより物質的に末永く現象させる「構え」だ!そう断じておこう。

美しいことや真(た)だしいこと。とうぜん大切だ。けれども、怖いプリン髪のねぇちゃんに「でェ?それが何になるんですかァ?」とスゴまれると、どんな大学者だってちょっとはたじろぐんじゃないだろうか。そこに何かを感じるかが狂気との閾なのかもね。大事なのはそういう「それ自体で価値を有しそうなもの」が、実際に、何を為すのか。このことじゃないだろうか。

 

それがつまりは……「愛」!僕はそうだと思う。愛を為すこと。優しくあること。それがために、美しく、真だしくあること。美しいところに真理は宿る。きっと本当だよ。――けど、美しくあることは常に難しい。老いたり、怪我をしたり、それだけでもひとは物質的に、簡単に醜くなる。そのことは運命だ。けれども、そこにもひとつの調和、つまりは美がありうる。だから、僕らは備えなければならない。この自分のような他人、つまりは身体の変化に。

 

方法の問題。詳しくは知らないけど、「それ自体に価値のあるもの」の探究に腐心した人もそれを大きく意識していたようにも思う。けども、もっとシンプルに、「能く愛す」ことを念頭に、日々出来ることをし、どれにも寄りかからず訂正し続ける。そこから使えるものを必死に探し続ける。ものの仕組みを知ることを、坦懐に愛し、ゆえに知る。そうやって、「世界を道徳化する」こと――。

 

僕らの旅路は短い過ぎるし、長過ぎる。なれば、愛について、真摯に考えよう。人間の尊厳はきっとそこにある。

 

 

あ、熱くなりすぎてタイトルの話が回収できてない。とりあえず卒論は提出なんとかひぃこらいいながら提出して、どうにか学部を出られたら、修士ではいちおう「美学」に類するような議論をお勉強します。主に、

1.ヘーゲル精神現象学

2.カント『判断力批判』、『人間学

あたりが参照先になりそう(ドイツ語……)。副次的に、というかこちらが本職ということにしたいのですが、アメリカのプラグマティズム(特にジェイムズとローティ)やフランスのドゥルーズにおける「民主主義」的な世界の展望を拓いて行きたいです!あ、あと、ロシア語をコソ勉しつつ、魅力的な人を見つけたらそちらに鞍替えする野望も持ち合わせています笑(今気になっているのはソヴィヨロフ)。ひとつのことに執着しても仕方ないので、芸術関連(演劇、音楽)なんかも頑張りたい!

とっ散らかっていて、見通しが経たないのは自室の惨状に通じるものがありますが、いったんはこんなものです。「誰も傷つくことなく もう惑うことなく」過ごせる世界を求めて、一緒に頑張れそうな人は頑張りましょう。では。