神の裁きと訣別するために

ごみにもごみの有用性があると信じて。 神の裁きと訣別するために:つまりは、ひとつの表現に向けての序説 ここに述べられるのは、福音であり、呪詛である。これを読むひと、読まされひと、関係なく鏖殺を望む。と、同時に全ての人の救世を望む。であれば、…

なんか!これからについて!

22日までらしい「調書」への回答を何処までも差し控え、俗悪、肥満過ぎた部屋を引き締めつつ、更に肥らす作業に勤しんでいます。寒さ、低気圧には敵わない。みなさんもお身体には気をつけて。もちろん愛にも。 若さの過剰に振り回され、しかして人さまをより…

癲狂院に通へる一學徒の手紙

近々考えていたことを、どのように「哲学的なスタイル」で書くかを考えて、仮の章立てですが、出力してみました。ほんとうに無駄で大袈裟な言い種で恥かしいですが、以下その内容です: >「新たなるツァラトゥストラ:誰もが読む必要のない時代が来ることを…

卒業論文のことをなんだと思ってるんだ。

――何を書こうか。こんな言葉は、どうだ。『愛は、この世に存在する。きっと、在る。見つからぬのは、愛の表現である。その作法である。』(太宰治「思案の敗北」、『もの思う葦』所収、角川文庫、六三頁) ――哲學全般はただこの最高の表現を見出すことに向かつ…

翻訳について――ひとつの覚書

少なからず翻訳を大学で行ってきた身として、翻訳についての、ひとつの典型的にして根本的な悩みに突き当たった。それはいわゆる「直訳か、意訳か」というものである。当然、それらが不可分にして表裏をなしているということは、他の誰を参照するまでもなく…

翻訳について――ひとつの覚書

少なからず翻訳を大学で行ってきた身として、翻訳についての、ひとつの典型的にして根本的な悩みに突き当たった。それはいわゆる「直訳か、意訳か」というものである。当然、それらが不可分にして表裏をなしているということは、他の誰を参照するまでもなく…